Translate

2013年7月19日金曜日

読書ノート:苦海浄土 石牟礼道子著

講談社文庫の新装版。古本屋で購入。彼女の郷土の人々が水俣病にいかに苦しんだか、詩情に満ちた迫力のある文章で記録・再構成していく。

公害は古くて新しい問題である。今読むとどうしても、汚染源のチッソが東京電力と重なって見える。賠償の範囲をいかに限定していくかなど、人間の考えることは今も昔も変わらない。残念なことに水俣の賠償問題は、ここ数年の進展にもかかわらずまだ完全には解決していない。最初の症例が出てからもう60年経つ。

解説を書いた編集者、渡辺京二氏によると、本書に登場する水俣病患者の言葉や独白は、必ずしも聞き書きではなく、膨大な取材に基づいてはいるが、石牟礼氏自身が再構成・創造した部分が多いようだ。あたかもシャーマンのように「あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」と、患者が未だ言い表していなかった言葉を「真実」として書き連ねる。

病は、日露戦争にも出陣した屈強な元漁師にも襲いかかる。
「なんばいうか。水俣病のなんの。そげんした病気は先祖代々きいたこともなか。俺が体は今どきの軍隊のごつ、ゴミもクズも兵隊にとるときとちごうた頃に、えらばれていくさに行って、善行行賞もろうてきた体ぞ。医者どんのなんぞ見苦しゅうてかからるるか」P.67

患者の女性が漁に出ていた頃をなつかしみ、海の美しさを語る。
「春から夏になれば海の中にもいろいろ花の咲く。(略)海の水も流れよる。ふじ壺じゃの、いそぎんちゃくじゃの、海松じゃの、水のそろそろと流れてゆく先ざきに、いっぱい花をつけてゆれよるるよ」P.167

彼女は不自由になった体を嘆き、夫と漁に出たいと願う。
「人間な死ねばまた人間に生まれてくっとじゃろか。うちゃやっぱり、ほかのもんに生まれ替わらず、人間に生まれ変ってきたがよか。うちゃもういっぺん、じいちゃんと船で海にゆこうごたる。うちがワキ櫓ば漕いで、じいちゃんがトモ櫓ば漕いで二丁櫓で」P.185

チッソが地元にとって欠かすことのできない存在であるがゆえに、患者と他の住民の利害が相反し、両者が分断されてゆく。
「『小父さん、もう、もう、銭は、銭は一銭も要らん!今まで、市民のため、会社のため、水俣病はいわん、と、こらえて、きたばってん、もう、もう、市民の世論に殺される!(略)』『何ばいうか!いまから会社と補償交渉はじめる矢先に、なんばいうか。だれがなんちゅうたか』『みんないわす。会社が潰るる、あんたたちが居るおかげで水俣市は潰るる、そんときは銭ば貸してはいよ、二千万円取るちゅう話じゃがと。殺さるるばい、今度こそ、小父さん』」P.344

公害は気づかぬ間に拡大し、取り返しのつかない事態になって初めて認識されるというような現れ方をするようだ。再びこのような事態が起きた時に、私たちはきちんと対処できるだろうか?

0 件のコメント:

コメントを投稿